私は秋になると、この場所に来てしまう。
そう、この川沿いのお気に入りの場所に。
ここは花の都、パリ。
パリにはいろいろなものがそろっている。
ルーブル美術館にエッフェル塔に凱旋門、それにシャンゼリゼ通り。
もちろん私もお上りさんのころは、そんな場所に入り浸っていた。
今はあの頃より少しおばさんになって(だいぶかな…)、そんな余所行きの
パリよりもっとくつろいだパリのほうが好きになった。
スーツでバシッと決めたイケメンより、リラックスしたジャージのおじさんのほうが
一緒にいてなんとなく落ち着く感じに似ているかも。
あの頃、私はデザイナーを目指して、レンヌから出てきたばかりの世間知らずのお嬢様だった。
自分は特別だと勘違いして、パリに出てきたまでは、よかった。
だけど、その時の私にあったのは、私なら絶対に成功できると思える根拠のない自信だけ。
なんの取柄もない私が何度も面接に落ちて、最後にたどり着いたのは、部品工場の流れ作業の仕事だった。
地元の友達のエマとは、よく電話で話をしたけど、本当のことは何も言えなかった。
「ねえ、エマ。パリは本当にいい所よ。この前もシャンゼリゼ通りで男の人に声をかけられたわ。
けど、キモい男だったから、適当に相槌を打って、やりすごしたわ」
「すごいじゃない、クロエ。もし、その男がキモくなかったらどうしてたの?」
「うーん、それはあなたの想像に任せるわ。エマ、あなたもパリに来たら、いいじゃない」
「ううん、私には無理。レンヌを出るなんて、想像もできない」
エマがそう言うのはわかっていた。わかっていたから、そんなことが言えた。
もし、本当にエマがパリに出てきたら、すべてばれてしまうから…
「ところで、エマ、レンヌのほうはどう?」
「こっちは、何も変わらない。変わりようがないよ。強いて言えば、あなたが、いつもの
仲良しグループから抜けて、寂しくなったかなあ。アンナもあなたに会いたがってたよ。
クロエ、たまにはレンヌに帰ってきてよ」
「ごめんね。最近、私もみんなに会いたいんだけど、仕事がすごく忙しくなってきちゃって…」
「仕事も順調なのね。うらやましい…」
私の受話器を握る手が震え始めた。私の嘘にも限界が来ていた。
もう、そろそろ電話を切る潮時だった。
「それじゃ、もうそろそろ彼が来るから、切るわね」
「もう、パリの生活、本当に楽しんでるわね。わかったわ。それじゃ」
「それじゃね。アンナによろしく」
私は受話器を持ったまま、膝からその場に崩れ落ちた。
涙が止まらなかった。
受話器を戻した後、ただ泣き続けた。気が付けば、辺りはすっかり暗くなっていた。
親友のエマにさえ、本当のことは言えなかった。
なぜなら、それがその時の私にできる、唯一の強がりだったから…。
そんな私もなんとか出版社に入ることができて、今は雑誌のライターをやっているわ。
この仕事を始めて7年目だけど、ようやく軌道に乗ってこれたかなあ。
今日も取材を兼ねてこの場所にやってきた。
この場所の空気は、他の場所の空気とまったく違うわ。
何度来てもそれは変わらない。
このカメラを見て。
これで「かっこいい」パリを撮りまくるの。
この7年間、このカメラで色々な表情のパリを撮ってきた。
そして、この真っ赤な帽子。
これが私の取材のときのスタイル。
おしゃれでしょ! (自分で言うか…)
外見だけでも「パリジャンヌ」の端くれには、なれたかなって。
ほら、この景色を見て。
川沿いに街路樹が並んでいて、その間から街の光がかすかに漏れている。
正面の大きな建物は、それらを従えた王侯貴族のようにそびえたっている。
さっきも言ったけど、私はこんなリラックスした感じのパリの表情が好き。
余所行きのパリは、どうしても落ち着かない。
若い時の苦い経験を思い出させるからかもしれない。
あの時の思い出はすっかり私の一部になったわ。
この仕事に就いてからは、エマとも普通に話せるようになった。
若い時の片意地はっていた自分が、どうしようもなく馬鹿みたいに感じる時もあるけど…
そうだ。
久しぶりにエマに連絡してみようかしら。
エマも今は子供が3人の肝っ玉母さんになってるわ。
彼女は人生の目標に向かって、しっかりと地に足をつけた生活を送っている。
いまだに独身の私とは全然違う。
だからこそ、エマとの友情が今でも続いているんだって思う。
エマ、若い時はごめんね。
あなたみたいに生きたいって、ずっと思ってきたけど、無理みたい。
私は私のやり方で「パリジャンヌ」になってみせるから…
どうか、これからも私を見守っていてください。
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