私はこの場所にずっと立っている。
君たち人間の単位でいうと…、そうだな、300年くらいか。
君たちの目から見ると、ずいぶん寂しいところにつっ立っているなあと思うことだろう。
昔は、この辺りもうっそうと木が茂っていて、にぎやかだった…。
その頃は、私の周りにいる、同僚たちがうっとおしくて仕方なかった。
いつも隣のやつより多く、太陽の光を浴びるために1センチでも1ミリでも背を高くしようとしていたよ。
私たちにとって、日光は君たちの食料と同じだから、死活問題だった。
だから、競争はかなり激しかったよ。
今では、その頃が懐かしい。
今は見てお分かりのように、私の仲間たちは、すべていなくなってしまった。
どうしてかって?
少し考えれば、わかることだが…
すべて君ら人間がしたことだろう。
そうだ。
君ら人間が、私の仲間たちを切り倒して、切り刻んで、どこかへ運んで行っちまったからだろう!
大きな声を出して、悪かった。
君を驚かせるつもりはなかったんだ。
君はそんなに若いし、君の親兄弟、先祖がやったことに責任はない。
だから、そんなに悲しそうな顔をしないでほしい…。
ただ、小さいころから一緒に育ってきた仲間たちが次々に倒されていく光景は、今でも思い出したくはない。
斧が幹にたたきつけられるときの金属音。
仲間たちが身を削られるときの叫び声。
仲間たちがついに耐え切れなくなって、地面とぶつかるときの衝撃音。
すべて覚えている。
これらの音は私の耳に今でも残っている。
こんな風に私は人間を恨んで生きてきた…。
だが、あれは100年くらい前だったか、人間も捨てたもんじゃないっていう出来事が一度だけあった。
それは、ダニエルという男の話だ。
彼が最初に私の足元に来た時、彼はまだ若かった。
おそらく17歳ぐらいで、ちょうど君と同じくらいの年齢だったと思う。
ダニエルにはマウリという名の友達がいた。
その友達と二人で、この辺を走り回っていたよ。
この辺りは冬はこんな寂しい感じだけど、春は緑のじゅうたんのように野草が生えていて、とてもきれいなんだ。
二人は私の足元に座って、よくこんな会話をしていた。
「僕は父さんみたいに、フランスに行って、戦地で戦うんだ」
ダニエルの父親は、その3年前からフランスのマルセイユでドイツ軍と戦っていた。
歴戦の勇士で、勲章もいくつかもらっているということだった。
マルセイユでの戦線は、かなりの激戦区だったが、ダニエルはなぜか、父親は絶対に死なないと確信していた。
彼は、父親を尊敬していたから、一刻も早く父親のようになりたかったのだろう。
もし、あの頃、彼が戦争の真の姿を1ミリでも知ることができていたらどうだっただろう?
それで、彼の決心が、少しでも揺らぐことはあっただろうか?
「君は勇敢だね。怖くないの?」とマウリが少し驚いた様子で聞いた。
「全然、怖くない! だって、僕は父さんの息子だもん。何があっても、父さんが守ってくれるんだ」
「でも、お父さんがいつも君の近くにいるとは限らないじゃないか。もし、そんな時にも戦わなきゃならないときはどうするの?」
「大丈夫だよ。お父さんはいつもここにいるから」
そう言って、ダニエルは自分の左の胸のあたりを指し示した。
マウリにとって、このダニエルの自信はうらやましくもあり、おそろしいものでもあった。
たとえ、マウリの父親が軍人だったとしても(実際には、農民だった)、これほど狂信的に父親のことを信じることができたかどうか疑問だったからだ。
「ダニエル、君、本当に戦場に行くの?」
「ああ、行くさ。行くにきまってるだろう。マウリ、君と一緒にね」
「えっ、僕には、無理だって」
「大丈夫。心配しなくていいさ。僕が君のことを絶対に守るから」
「絶対に無理だって」
「僕には父さんがついている。だから、君には父さんと僕という心強い味方が二人ついていることになる。だから、絶対に大丈夫だって」
マウリは、何か言おうとしたが、そのまま口を閉じてしまった。
その3年後、ヨーロッパ戦線はますます激しさを増し、その一週間前に、マルセイユが陥落していた。
最強の兵器と秩序だった軍隊を兼ね備えた、ドイツ軍はまさに無敵だった。
窮地に立たされた連合国軍にとって、国内の若者も重要な戦力となっていた。
二人はその時、20歳を過ぎていた。ついに二人にも召集令状が届いていた。
「マウリ、どうした? 戦場へ行くのが怖い?」
「…」
「どうした?」
「ああ、怖いさ! 吐きそうなくらいさ! どうして、君はいつもそんなに余裕なんだよ?」
「僕だって、怖いさ」
「えっ」
「父さんとずっと連絡が取れていないんだ…。マルセイユが陥落してから、ずっと音信不通なんだ」
「ごめん。知らなかったんだ」
「いいさ…。どちらにしても僕らには、これで戦争に行かないという選択肢はなくなった」
「そうだね…」
「それならそれでいいさ。どうせなら、戦争を楽しんでやればいい」
「ダニエル、君は強いね」
「マウリ、戦争が終わったら、この木の下で、もう一度会おうよ」
しばらくダニエルは間を置いてから、何かを決心したようにこう言った。
「マウリ、必ず、この場所に戻ってこような」
「うん。もちろん!」
「必ず、この木の下で!」
そう言って、二人はがっちりと握手をした。
万力を使ってもこじ開けることができないような、力強い握手だった。
その後、二人は戦場へ送られていった。
私は二人を待ち続けた。
私には、この場所でひたすら待つことしか、できなかったからだ。
じりじりとした日々だった。
二人が無事に帰ってくることだけを願っていた。
いくつかの季節を通り過ぎ、2年ほど経った、ある冬の日だった。
その日もちょうどこんな風に雪が積もっていた。
空気は澄んでいて、山々の景色が遠くまで見渡せた。
そんな日に松葉杖をついて、とぼとぼと歩いてくる兵士の姿があった。
兵士の右の足は、膝から下がなくなっていた。
膝には包帯が巻かれ、少し血がにじんでいた。
兵士の顔は苦痛にゆがんでいた。
ダニエルだった。
ダニエルは何度もつまづきそうになりながら、松葉杖を不器用に動かしていた。
おそらく彼は負傷から回復して、すぐにこの場所に戻ってきたのだろう。
態勢を崩して、下半身に力が入るたびに、苦痛の声を漏らしていた。
彼は私の足元まで来ると、身を投げ出すように崩れ落ちた。
松葉杖を投げ出し、私の幹にもたれて楽な姿勢になると、私に話しかけ始めた。
なあ、タイボクさん。俺は昔からあんたの近くで暮らしてきた。
知ってるよ。あんたが俺とマウリのことをずっと見守ってくれていたんだろう。
覚えているかい? 俺とマウリがここで交わした約束のこと。
『必ずここで会おう』なんて、あの頃は二人とも純粋だった。
あれからいろんなことがあったよ。
まず第一に、『俺はマウリを必ず守ってやる』なんて、格好のいいことを言ってただろう?
俺はただの世間知らずのバカだった。
結局、俺はやつのことを…、守ってやれなかった…。
まあ、その後始末は、後で自分でつけるから…。
最初、俺たちは同じ部隊に送り込まれた。ブライトンにある部隊だった。
その辺りは戦況はそれほど悪くなく、週に一回、ドイツからの航空隊の空襲がある程度だった。
二人でよく言っていたよ。
『俺たち、このまま戦争を逃げ切れるかな』って。
ところが、ある日、マウリが『俺はダンケルクに行く」と言い出した。
最初は聞き流していたが、よく聞くと、やつは部隊長に志願までしてやがった。
もちろんやつに何度も問いただしたよ。『なぜ、そんなことをしたんだ』って。
やつは言った。『君を守るためだ』って。『俺の悪運を君から離しておくためだ』って。
俺はそれを聞いて激怒した。
そして、『よし、わかった。俺と一緒にいるのが、そんなに嫌ならダンケルクでも、どこへでも行ってしまえ』と。
今は後悔している。
あの時、マウリを絶対に止めておくべきだった。
なのに、俺は自分自身の小さなプライドにこだわって、やつを行かせてしまった。
それから、6ヶ月ほど経って、マウリが所属していたダンケルクの第6部隊が、ほぼ全滅したという知らせが届いた。
俺はそれを聞いて、頭の中が真っ白になった。
だが、しばらく経つと、すぐにダンケルクに行かなきゃという思いが強くなった。
もちろん、マウリを探しにいくためだ。
そして、すぐさまダンケルクへの移動を志願した。
志願はすぐに受理された。
そんな危険な場所に志願する兵士はほとんどいなかったからだ。
ダンケルクは、まさに地獄だったよ。
敵の銃弾が、まさに雨のように降り続いていた。
そこら中に死体が転がっていた。
死体のほうが、戦っている兵士より明らかに多かった。
銃弾が耳をかすめるときのヒュッという音は今でも忘れることができない。
このダンケルクで、俺も右足を失った。詳細は覚えていない。
でも、右足だけで済んだのが、幸運だったよ。
それほど、ひどい惨状だったんだ。
そう、マウリは見つからなかった。
やつは生きている、いや、死んでいる、その二つの選択肢を行ったり来たりしながら、俺は故郷へ向かう電車に揺られていた。
そして、一縷の望みをかけて、この場所にたどり着いたというわけだ。
やつはやはりここに来ていないようだな。
やつがいなけりゃ、俺には生きる意味がないんだ。
だって、やつを守るって、約束したんだから…。
俺にはこれがある。捕虜に捕まった時に使う、自殺用の薬だ。
これで楽に死ねる。
ああ、俺の人生は何だったんだろうなあ。
マウリという無二の親友が、危険な戦線へ行くのを止めることもできなかった。
戦場では父さんのように戦功をあげることもできなかった…。
それどころか、けがをして、このざまだ。
全部、この右足のせいだ!
もう、この世界には何の未練もない。
待ってろよ、マウリ。
これから、お前のいる世界に行くから…。
そう言うと、ダニエルは軍服の胸ポケットから小さな紙片を取り出した。
彼は丁寧に折り目をめくり、一粒の薬を取り出した。
私は「だめだ!」と声にならない声をダニエルに叫び続けていた。
「まだ、マウリが生きている可能性もゼロじゃない!」
だが、私の声がダニエルに届くはずもなく、彼はその薬を一息に飲み込んだ。
タイボクさんよ。どうだった、俺の物語は?
笑えるだろう。もっとましな人生を生きたかったよ。
結婚もして、子供も欲しかった…。
内臓が…、ずたずたに切り裂かれるようだ…。
そろそろ…、俺もこの世とはおさらばのようだな…。
あばよ…。タイボクさん…。
そのままダニエルは話さなくなり、彼の背中から私の幹に伝わる体温も徐々に弱くなっていった。
冷たくなった彼の肉体は、硬直し始めていた。
少し憂いを含んだ微笑を浮かべたまま…。
そう、彼の肉体は朽ちていき、私の体の一部になっていった。
彼の体は、私の足元で、土へ還っていったのだ。
これがダニエルという男の物語だ。
彼は失意の中で、この世を去った。
だが、この物語には続きがある。
マウリのことだ。
実はマウリは生きていた。
マウリもダンケルクで背中に重症を負っていたが、命には別条はなかった。
そう、ダニエルはは、マウリを守り切ったのだ。
今、マウリは故郷の街で、幸せな家庭を気づいている。
マウリがこの場所を訪れたのは、ダニエルがこの世をさってから、約1年後だった。
彼はこの場所でダニエルの面影を見たはずだ。
ダニエルが倒れていた場所を涙を流しながら、何度も何度も撫でていた。
私はこれから、何十年、何百年生きるかはわからない。
だが、この物語の記憶は、死ぬまで消えることはないだろう。
なぜなら、ダニエルという男の物語を語れるのは、私だけだから…。
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