さなぎから蝶へ。
私はいつも、このイメージを持って学生時代を過ごしてきた。
大人になって、私は蝶になれたかしら…。
さなぎは固い殻に覆われた、醜い生き物。
美しい蝶になるために、今か今かとチャンスをうかがっている醜い生き物。
学生時代の私は、まさにさなぎのように、大人になって蝶として花開くのを待っている女の子だった。
ただ、待っていた。
そして、蝶のように輝きたかった。
学生時代、私はすごく目立たない子だった。
友達も少なかったから、母親からはよく心配されていた。
「香織、あなたは自分で思っているより、よっぽどきれいよ。もっと肩の力を抜いて、楽に生きてみなさい。
そうすれば、あなたがいつもあこがれている、さやかちゃんより、男の子にもてるかも。。」
さやかはクラスで一番人気のある女の子だ。
さやかとはすべてが違った。
さやかはいつも明るい、元気な子だったのに、私はネクラなオタク女子。
それに私たちのクラスの学級委員で、同じ学級委員の根岸君と付き合っているという噂だった。
そんなさやかに勝てるわけなんてないのに。。
母親は、よくそんな褒め言葉とも慰めともとれる言葉をよくかけてくれた。
そんな言葉が私を奮い立たせてくれることなんて…、もちろんなかった。
おせっかいな母親の存在が、ただ目障りだった。
お母さんは、私にとってのまさに「蝶」だった。
黒い髪はいつもふさふさしていて、背筋をぴんとはった立ち姿は、30代でも十分通用した。
(そのころ、お母さんは40代後半のはずだったのに。。)
必要以上に前に出ることはなく、お父さんを立てて、自分は一歩引くような人だった。
それに、自分ことより私や弟の隆司のことを真っ先に考えてくれていた。
そんな「蝶」にあこがれていたけれど、私は相変わらず、さなぎのままだった。
一度、こんなことがあった。
学校で一番の仲良しの春菜から、ひどいことを言われて、落ち込んで家に帰った日のことだ。
その日の夕食の食卓で、私は無言で食事をしていた。
弟の隆司は、その時まだ中学生で部活のサッカーのことで、頭がいっぱいだった。
「父ちゃん、聞いて。今日の試合、ドリブルで5人ぐらい抜き去ったんだよ」
「本当か、隆司? 5人は言い過ぎじゃないか」
「本当だって。この前、父ちゃんに教えてもらった、フェイントを使って…」
お父さんと隆司は、そんな会話で盛り上がっていた。
そして、食事が終わると、そのままテレビの近くのソファに移動して、サッカー談義を続けていた。
後に残された、お母さんと私は、相変わらず無言で食事を続けていた。
私はその場の気まずさに耐えきれなくなって、席を立った。
「ごちそうさま」
「香織、どうしたの? 今日は具合が悪い?」
「もう、ほっといてよ! お母さんに私の気持ちなんて、わからないんだから!」
私はそのまま自分の部屋に戻ろうとした。
「香織、待ちなさい。そこに座りなさい」
お母さんのその時のきっぱりとした口調を私はすんなりと受け入れた。
そして、下を向いたまま、自分の席に戻った。
「香織、何があったのかは、あえて聞かない。
だって、生きていたら、嫌なことなんて、あって当然じゃない」
「…」
「でも、一つだけ覚えておいて。母さんは何があっても、香織の味方だから」
「何があっても?」
「そう、何があっても。だから学校で嫌なことがあっても、けっして投げやりになってはだめよ」
私はいつの間にか、泣いていた。
お母さんは私の背中に手を置いてくれた。
「大丈夫。何があっても…大丈夫よ。
嫌なことがあったら、母さんがいつもあなたを見守っていることを思い出して」
あれから20年経ったわ。
お母さんは、おばあちゃんになったし、私は、当然…おばさんになった。
20年間、色々なことがあった。就職もしたし、結婚もした。
それでも、お母さんは、いつも私の心の拠り所だった。
そんなお母さんも、半年前から持病の腰を悪くして、入院生活を送っている。
今年のお正月に、実家に帰った時に、お母さんが入院している病院にお見舞いに行った。
お母さんは病院らしい、素っ気ない部屋で、ベッドに起き上がって本を読んでいた。
ベッドの横のテーブルには、黄色のバラが丹念に束ねて飾られていた。
そんなお母さんの姿は、悲しいぐらいに小さく見えた。
お母さんは、いつものように笑顔で私を迎えてくれた。
少ししわくちゃになっちゃったけど、その笑顔は20年間変わらなかった。
私は、ベッドの横に置いてあった腰掛椅子を近くに寄せて座った。
「あなたもすっかり大人の女性ね。見違えたわよ」
お母さんが言った。
「ありがとう。それより、お母さんの体調はどう?」
「良くも悪くもならないわ。先生が、退院したとしても、この腰とは一生つきあっていくことになるだろうって。
それより、香織、あなたのほうはどう? 旦那さんとうまくやってる?」
お母さんは、昔からそうだった。
自分のことより、他人のことのほうが大事なのだ。
入院しているのは、お母さんなのに。。。
世間話をひとしきりした後、私は今まで聞きたかったことを思い切って聞いてみた。
「お母さん、私が高校生の時に、あなたはさやかより、きれいだって、言ってくれたこと覚えてる?」
「どうしたんだい? うーん…、そんなことも言ったかね?」
「もう! 私にとっては重要なことなのに!」
「ごめん。ごめん。そのことが、どうしたの?」
「さっき容姿のことをほめてくれたけど、あの時の言葉、本当だったのかなって」
「やだね。そんなことかい」
「そんなことって! だから、私にとっては…」
「本当だよ。。。いくら身内だって、そんなことでお世辞は言わないよ」
「よかった。。。」
「どうしたんだい。急に泣いたりして。香織はいつも、私の誇りだよ。
父さんもそう言ってたよ。間違いない」
「ありがとう。。。」
結局、私はまた、お母さんの前で泣かされてしまった。
思春期の頃、容姿で悩んでいた私は他人の評価に、ひどくおびえていた。
お母さんは、そのことも分かって、私に花を持たせてくれたのだ。
「蝶」のようなお母さんにあこがれ続けてきた私は、一歩でもお母さんに近づけただろうか?
さやかよりきれいかどうかなんて、どうでもよかった。
今ならわかる。
容姿で悩む私に、少しでも元気づけようとして、言葉をかけてくれたお母さんの優しさが。
そう思えることが、もしかして、「蝶」になれたということかもしれない。
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