どうやら私は、独り言をぶつぶつとつぶやいていたようだ。
あまりの衝撃に周りが見えなくなっていたのだろう。
「いえ、何でもありません」
そう答えると、マスターは納得したようにその場を離れていった。
早くひとりの時間に戻りたかったし、耳にピアスをしている男を信用できなかったからだ。
私はウィスキーのロックをチビチビとやりながら、自分の考えへと戻っていった。
私が生きてきた47年という人生を、あと6ケ月に集約できるだろうか?
ただ、末期になれば、病気はかなり進行しているはずだ。
実質、動けるのは4ケ月ほどかもしれない。
あと4ケ月!
まず襲ってきたのは、なぜ私が…という思いだ。
私の人生は、平々凡々なものだった。
21の時から26年間高校の教師として、職務を全うしてきた。
ただ、ひたすら教室で生徒に数学を教えていた。
数学は論理性の学問だ。
色々な生徒がいたが、数学の神秘的な美しさに触れることができた生徒はほとんどいなかった。
要するに「頭の悪い」生徒ばかりだったということだ。
PTAからは「あなたの教育には『熱量』がない」と怒られ続けてきた26年間でもあった。
そんな時はいつも心の中で反論していた。
数学に「熱量」なんて必要ない。必要なのは冷静さだ、と。
しばらくたって、次に襲ってきたのは、怒りだった。
私は、こんな仕打ちを受けることは何もしていないはずだ。
どうしてなんだ、神様!
同僚の北村でもよかったはずだ。
あいつは国語の教師のくせに、休日をいつもパチンコ屋で過ごしている。
そして、勤務中もたばこ休憩と称して、喫煙室でだらだらと時間をつぶしているような輩だ。
ただ、生徒たちに人気だけはあった。
時には、そのことに嫉妬したこともあった。教師は人気商売じゃないんだと。
なぜ、北村じゃなくて、私なんだ!
北村より私のほうが、よっぽど生徒たちに学問を伝える能力はあったはずだ。
少し、冷静になってみよう。
そもそも、あと4ケ月という短い時間で、何ができるというのだ?
先ほど「人生の集約」と書いたが、別に集約なんて、しなくていいのかもしれない。
それは病院からの移動中もずっと、考えていたことだ。
あと4ケ月で今までやってこれなかったことをやってみるのも手だ。
むしろ、そちらに心が傾き始めている。
どうせ、ゴールは、目の前に見えているのだ。
「今までやってこれなかったこと」とは旅行だ。
仕事の忙しさを理由にして、私は今まで旅行というものをあまりしたことがなかった。
そうだ! どうせなら、旅行に出よう!
私は教師という職業柄、ほとんど県外にすら出たことはなかった。
どうせ、行くなら海の見えるところがいい。
私はピアスのマスターに海への行き方を聞こうとカウンターに身を乗り出した。
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